イスラエルという遠い遠い国(距離的に)で今も続いている戦争のことを考えるとき、憲法で戦わない宣言をした日本人からみると、いったいどうなっちゃってるんだろう、と歯がゆい思いをすることがあります。
1948年にイスラエルという国家が、もともと住んでいたパレスチナ人を迫害して建国されました。
パレスチナの人々は、理不尽なやりかたにずっと抵抗し続けました。1967年アメリカが圧倒的にイスラエル支援を開始したとき、ますます問題は複雑に悲惨になってきました。
今夜、女性でありながら強く闘ってきてイスラエル軍に逮捕され、拷問を受けた3人のパレスチナ人のドキュメンタリー映画を見ました。監督も女性です。
このカメラに向かって初めて口にしたという、無残な拷問の様子なども語られました。戦争は悲惨だ、だからやめろという単純な反対論では済まされない、多くの問題をはらんでいる映画と、講演でした。
そこには、人種の問題、ジェンダーの問題、宗教の問題、国家の問題、大国の問題が複雑に錯綜して、出口の見えない争いが続いているかのようでした。さらに戦争するには膨大な武器が要る、その武器を売って儲けている武器商人のことは、これらの問題の陰にかくれて、取りざたされることはないのでした。
けれど、一歩さがって、自分たちの足元を見つめてみれば、日本だって無関係とばかりはいっていられない現実がイスラエルと大差なく横たわっていることがわかるのでした。
イスラエルのことはイスラエルに、パレスチナ人のことはパレスチナ人にまかせよではなく、日本人には日本人の彼らに学ばなければならない多くの問題が足元に転がっているのを、今さらのように感じました。
「人間は小さいものであるだからこそ美しい」というドイツ生まれの経済学者シューマッハーのことばは、そのまま「人間は弱いものである、だからこそ美しい」といいかえても不思議はない印象でした。
それは、第2次世界大戦で迫害された弱いユダヤ人は片隅に追いやられ、ナチスと闘った強いユダヤ人が支配するイスラエルという国、さらにアメリカという大国に頼ろうとするイスラエルという国、放浪の民ユダヤ人の国イスラエル国家の自己矛盾、そしてイスラエルにもちゃんとそれはおかしいんじゃないかと異議を唱える人々がいるのだということを、学んだ今宵でもありました。
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