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2009年1月

2009年1月31日 (土)

ジョン・レノン 快晴

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歩きに出かけたら幸せな気分になって、歩くためにブックオフへ向かった。

かなり歩いたと思って満足して、100円の本を5冊と定価の半額の本を1冊買ったら重くなって、これを持って家まで歩くのかあと少々うんざりしながら店を出た。

ラッキー!駅行きのマイクロバスが止まっている。途中で止まりますかと聞いたら、さらにラッキー!つたやで止まると言う。

つたやからなら歩いても楽、と思ってつたやまで乗って降りた。つたやのDVDをのぞくと、目が行くのはジョン・レノン関係の映画。『チャプター27』を見つけた。

ジョン・レノンを撃った男の物語だ。1980年12月6日、ダコタハウスに帰ってきたところを、狂信的なファンに撃たれた。

ジョン・レノンは不幸な最期だった。しかし、撃った男もかなり不幸な育ちだったようだ。キーワードはサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』、昔読んだっきり、村上春樹も訳しているけれど春樹のは読んでいないので、忘れた。サリンジャーのあの本が何かを意味するらしい。あの本どこへいっちまったかなあ。

If a  body  meet  a  body  come  in  through  the  rye  If  a  body  kiss  a  dody  need  a  cry  ざわめくライ麦畑の映像とこの歌が、あらわれては消える。

これはなかなか説得力のある、筋立てだった。もうひとつ

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今度はこれを借りてみようと思っている。これ、何なのだろう同じものかなあ。

ところで、100円本の収穫は、田辺聖子の杉田久女伝『花衣ぬぐやまつわる・・・』だった。

 

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外出禁止

Imgp5952 怪我をして入退院騒ぎ以来、デュランは外出禁止になって、寝ているか窓の外を見ては、切ない鳴き声をあげている。

そのぶんとても人懐こくなって、にゃあにゃあ側に寄ってくるので、かわいいけれどかわいそう。

ときどきねこじゃらしのおもちゃで遊んでやる。そのジャンプ力のすごいこと、また夢中になって遊ぶ姿のたくましいこと、『ガリバー旅行記』で人間がもっとも運動能力の低いことをいわれていたが、デュランをみているとつくづく、いつも寝てばかりいる怠け者の代表みたいな猫のすばしこさに感嘆している。

寝てばかりいるようだけれど、そばにいないのでうっかりガラス戸を開けっ放しでベランダにいるときなど、戸外の空気をかぎつけることの素早いことどこからともなく現れて脱兎の勢いで逃走する。

二度もそんなことがあった、逃げた以上追いかけても捕まりっこない、あきらめて無事に帰ってくることを祈るばかりだった。

それにしてもペットというもののこんな不自由な暮らしは、いやだなあ。人間だってまったくの自由と言うことはありえないのだけれど、あるとすればそれは自由と言うより自分勝手というものだろうし、それにしても限度がある。かわいそうなデュラン・・・

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2009年1月29日 (木)

雨音の会

情けないかなPCのお掃除をしたときに、デジタルカメラのソフトを失くしてしまった。画像の編集ができないので、今画像がアップできずブログが寂しい。

それだけではなくいろいろなものを失くしてしまった。だからいちごに過去のことを聞き出そうとしても無駄である。

いちごは振り返らない。前だけを向いている。前だけを向いていると、ああ行き着く先は「?」・・・それは生きとし生けるものの宿命だからいい。

だからやはり前だけを向いていることにしよう。

今日は句会「雨音」の会。ついこの間のような気がするのだけれど、母がいるころはそうそう出かけられなかった。近くで吟行したいと思っていたら、ちょうど俳句に関心のある仲間ができて、この会ができた。

でももう母はいない。皮肉なものだ。けれどひとりふたりと仲間が増えるにつれて元気が出、前を向いていることを誇れるようになる。

「思い出しちゃいけない、思い出すと石になる」って、なんだろうこれ、福田善之だったかの芝居のせりふじゃなかったかな。

俳句というのは、たった17文字で大宇宙を詠み、ミクロの宇宙を詠めるすばらしい世界だ。

正岡子規が写生といったが、写生は客観を求められる。単に情緒を連綿とうたうだけではないすばらしい世界だ。

芭蕉が突然変異でひょっこり生まれてきたのではないのだけれど、やっぱり芭蕉はすごいなあ。

芭蕉もすごいけれど、俳人はみんなすごい。1句でも作ったらそれはもう俳人である、というのがいちごの考え方。

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2009年1月27日 (火)

健康診断

遅ればせながら誕生月の健康診断に行ってきた。

はい、はい、血圧も正常、心電図も良好、どこも悪いところはありませんね、ですって。

右側の腎臓の形が変ですけど、ですって。どういう意味ですか。普通の形と違うのですか、それとも去年と比べて形が違っているのですか?

・・・返事がない。

ちょっとばかにしてやしません?腎臓は2つあるから、ひとつくらいおかしくてもかまわないととでも言うのかしら。それなら黙っていてくれればいいのに。

・・・それとも何がなんだかわからないのかな?

それならそうとおっしゃって!とてもいいドクターなんですけれど、なんだか腑に落ちない。

あまり気に病むとよくないから、ま、いいか。

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2009年1月25日 (日)

イスラエルから文学賞?

今日の朝日新聞では、イスラエル軍の攻撃によって、パレスチナ自治区ガザの住民が1300人も犠牲になったため、日本に住むイスラム教徒らが昨日100人以上も代々木公園で祈りを捧げたと報じている。

別のページでは、村上春樹がイスラエル最高の文学賞エルサレム賞を2009年の受賞者に決まったと報じている。

村上春樹はどんな気持ちだろう。政治と芸術は別世界のこととして割り切っているのだろうか、それとも口癖の「やれやれ」とつぶやいているのだろうか。

世界の歴史は戦いによって塗り替えられてきたといっても過言ではない。一国を統一するためにも、国家を富ませるためにも、国家を守るためにも、宗教を守るためにも、世界の経済競争に勝ち抜くためにも、最後は武力によって決着を見、世界事情は変貌を遂げてきた。

ガザ地区の1300人は何十億だかの世界の人口からすれば、わずかなものかもしれい。けれどたった1300個の悲しみや苦しみがその1300で終わらないのは、様々な報告や文学や絵画や音楽に表わされてきたとうりだ。

たとえたった一人の命でも大切にせよと教育されてきたのに、いったいどうしたことだろう。

武力で応酬すれば武力で返される。戦争はいつまでたっても終わらない。人間は絶滅するまで戦うのだろうか。「やれやれ」

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2009年1月24日 (土)

真夜中の電話

telephone 昨夜12時過ぎ電話が鳴った。

「もしもし」というと、「電話もろたんやけど」という。関西訛りの男の声である。関西弁の男性に知り合いはいない。というより知っているひとは声でわかる。

「どちらへおかけですか」というと「そっちがかけてきたんやんか」という。また「どちらへおかけですか」といっても誰々さんですかとは言わない。「かけておいてなんや」と怒っているようだ。

「かけてません。どちらへおかけですか」「自分がかけておいてなんや。夕べ1時12分にかけてきたやろが」「かけていません。そんな夜遅くまでおきていませんから」と言い合いしているうちに最後に「うるせ、あほ、死ね」と言って電話が切れた。

向こうはもしかして着信履歴を見て、かけてきたかもしれない。かなり怒っている風だった。あるいはこの番号に電話ください、なんて若い女の子の声で誰かがかけていたかもしれない。もしそうなら、向こうも怒るのは当然だ。何かの間違い?どうしてこんな間違いが起こるのだろう。情報漏れ?

それにしても夜中に言われた「死ね」と言うことばはとても恐ろしかった。殺すぞと言われたくらい怖かった。

どこの誰だか知らない、ただ関西訛りがあるというだけの見たことも会ったこともない男に、まして電話と言う直接手の届かない相手から言われたことばなのに、なんともいえない恐怖心がわいた。

いじめにあった生徒が自殺して、「死ね」と言われていたという記事を見たことがあったが、こんなことばを知り合いやクラスメートに言われたら、顔を知っている相手だけに相当なショックを受けることがやっと身をもって理解できた気がした。

ことばは空疎だ、と思う反面、ことばの暴力と言われるくらいである。ことばはひとを死に追いやるほどのインパクトも持っているのだ、と思い知らされた。

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2009年1月23日 (金)

バラク・オバマ大統領

人種差別の国アメリカで黒人が大統領になったと、もっぱらの話題である。アメリカの黒人や黒人への差別を闘ってきた人々にとっては、感慨深いものがあるだろう。それとも違った感想を持っているだろうか。単に黒人だというだけじゃね。それにしても画期的なことには相違ない。

いちごは黄色人種として旅行くらいはしても、外国暮らしまではしていないので、外国における人種差別は本で読んだり、ニュースを聞いたりして想像するだけである。

日本人は外国の白人の間で暮らして差別されたかどうか、されなかったという人と、されたという人といるけれど、差別されなかったという人は、すごい芸術家とか大企業の顔を背負って仕事で行っている場合はともかく、普通はされているのではないかなあ。

差別なんてないというのは、よほど鈍感なひとかおめでたいひとに違いない(怒るなかれ)。

差別する感情というのは、単に傲慢というだけではない。防衛本能や、知らないものへの拒否感や、不慣れなものへの嫌悪感等様々である。日本だって差別はあるし、いちごなんかもし宇宙人が隣へ引っ越してきたら、気持ち悪い気がする。(言ったら七華ちゃんに軽蔑された。若い人はかなり進んでいる)

その宇宙人が日本語をしゃべれて、お互いの気持ちをある程度知り合えて、それから異形の風体によほどなじんでやっとという気がする。

でも、宇宙人を奴隷にして使いたくはないなあ。この気持ちは、多分教育の賜物だろう。子どものときから差別はいけないとか搾取しちゃいけないと教わってきたから。

日本人は差別はいけないと教わってきたのに、差別したり自分の出自や収入などを誇って、妙な偏見を抱く人は教養がないというものだろう。

黒人が大統領になったからといって、期待しすぎてもどうかしら。また、黒人がなるなんて、と嫌悪するのもどうかしら。

いちごが期待するのは、黒人の大統領だからというのではなくて、オバマが真に平和主義者ならいいなあと思うだけである。

アメリカが大国として、世界に横暴に振舞ってきたことを、オバマがやめてくれればいいなあと願うのである。

アメリカは民主主義の国だとか、自由主義の国だとか教わってきたけれど、あの黒人に対する仕打ちや、外国にでしゃばって行って武力を行使する様子を見ていると、とてもそうは思えないものだった。

この日本にだって、たくさんの基地を置いているし、今日の新聞でも横田基地で火災なんていう記事も見た。いったい、アメリカは日本にいくつ基地を持っているのだろう。戦後60年を過ぎても、いまだ戦勝国として他国に君臨するような横暴は嫌だ。

アメリカもそうだけれど、日本でも民主主義とか自由主義というちょっとかっこいいことばのイメージが、空疎に駆け回っていたような気がする。

お互いに他国を蹂躙せずに真に友好的に尊重しあって、瀕死の地球を守りたいものだなあ。

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2009年1月22日 (木)

私は朝寝坊が許されている

昨日英語教室で、allowed を使って文章を作りなさいと言われた。もちろん長い文章を作れる人もいるけれど、いちごはできない。

それで、「私は朝寝坊することを許されている」という短文を作った。先生は、許されているって誰に許されているんですか、とあきれたようにおっしゃった。

いちごは神様です、と言った。

いちごは生まれてこの方、赤ん坊のときは別として、いつも起こされてばかりいた人生のような気がしているのである。

誰かが「起きなさい」と声をかけるのでなくても、たとえば仕事があるからとか、子どもがいるからとか、お弁当を作るとかの理由で目覚まし時計に起こされなければならなかった。母が年取ってからはお腹がすいた母に起こされていた。

今、幸せなことに自然に目が覚めるまで、眠っていていい特権を得たのだ。自然な目覚めほど気持ちのいいものはない。

十分に眠ってベッドの中で、じっと朝の静寂にひたっている至福のひとときは、何ものにもかえ難い。神様から恵まれたとしか言いようがない。

ところが最近また起こされるはめに陥っている。それは、怪我をしたデュランが外出禁止になり太ってしまうので、七華ちゃんに食事制限をされていて、朝早くお腹を空かせて鳴くからだ。

いちごがうるさいからたくさん与えてしまおうとすると、メタボになると禁じられるのでどうしようもない。七華ちゃんのデュランへの愛情が本物だろう。

こんないいかげんないちごのもとで、七華ちゃんはよく健康に育ったものだと思うが、母が助けてくれたからでとても感謝している。

けれど、朝デュランに起こされるのはたまらない。せっかく大好きな朝寝坊ができなくなってしまったなんて。それも猫のせいで・・・猫って言うと七華ちゃんに怒られる。

以前ソラマメを飼っていたときも鳥というと怒られた。ともに暮らしている人を、名前を言わずに人間と言っているのと同じ感覚らしい。

それにしても、猫(ナイショ)に起こされるのはいやだなあ。

I'm  not  allowed  to  oversleep  sad

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2009年1月20日 (火)

寒中の村上春樹と正岡子規

暮以来の「風邪もどき」症状に悩まされ、やらなければならないことは半分もできずに、ひたすら本を読んで過ごした。

おかげでかなりな読書量となり、読めば読むほど読みたい本は増えていくので、このことはなんだか怪しく感じられる。

ちょっと、ギヤンブルとか、蓄財とか、便利さとか、そういうものに似ているかもしれないと思った。

トリコヤマさんにお勧めいただいた、司馬遼太郎の『人々の跫音』はよかった。

村上春樹のエッセイ『辺境・近境』だったかな、これがよかった。『ノルウェイの森』を読んで「春樹嫌い」だった。

それに春樹のお化けも嫌いだった。死者とか殺人とかが出てくると、夜中など薄気味悪くて読み続けることができない。

しかし、その後も春樹を読む機会が多くなって、だんだんその魅力に気づきはじめていたけれど、このエッセイは虜になった。

学者先生などが春樹を難しく論じているけれど、みんなが読みたくなることのほうが大事なのだと思う。

ベッドにじっと横たわっている「風邪もどき」のいちごは、正岡子規の『病牀六尺』がかつてなくよく理解できた気がした。

子規は35歳で亡くなる晩年、まったく寝たきりで結核菌による様々な攻撃に耐え、苦しみを受け入れつつ執筆したのである。

今なら、電動式のベッドで体位を変えていくらかでも、苦痛をまぎらわすこともできたであろうに、それよりも結核菌を退治する薬もあるから、みすみす若い命を失わなくてもすんだであろうに、などと考えた。

しかし、現代は現代の不自由や病がある。人間は永久に何かしらと闘ってたくましく生きているのだ。

軟弱ないちごはたかが「風邪もどき」ぐらいで、ごろごろ過ごしてしまった正月であった。

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2009年1月 2日 (金)

この春8万人以上の人が職を失うと・・・

Imgp6010 元日の江ノ島での夕陽・・・

革新的な弁護士さんからの賀状に、この春8万人以上の人が職を失う、とありました。

8万人て具体的にはどのくらいの量なのだろうと考えました。

七華ちゃんの小学校の生徒数は、1000人強でした。朝礼などで校庭に並ぶと、あああれが1000人という人数のかたまりなのだ、と思って見ていました。

すると、8万人というのは、あのかたまりが80個分の人間の数なのだ、すごい!と思いました。

「政治無力」「政治空白」とも書かれていました。わたしたちは、何ができるのでしょう。せいぜい選挙ぐらいしかないのかなあ。

無力・・・

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2009年1月 1日 (木)

謹賀新年

Imgp5947 檻の中の猫、それでも明るいほうへ明るいほうへ身を寄せます。いぢらしいくらいです。

 かじけ猫母娘の話聞いてをり     いちご

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